2001年度の世界経済は、いわゆるIT不況により同時に減速した。しかし、財政金融面からの景気刺激策の効果があり、またIT部門の受注は底固く、在庫調整は速く進展した。さらに2001年中は原油価格が下落基調で推移したことが下支えとなり、2002年に入ってからは、米国やアジアを中心に生産が上向くなど景気回復の動きが進み、米国の景気回復が世界経済を主導する型で進捗した。
地域別に見ると、米国においては、2001年3月以降景気は後退局面入りしたが、その後減速のペースは緩やかになり、9月11日の同時多発テロ発生の影響はあったものの、10~12月期には早くも回復し始め、経済成長率はプラスとなり、IT関連産業の生産は拡大に転じた。
米国の減速は、世界のIT需要拡大を背景に景気拡大が続いていたアジアに波及した。IT関連製品の対米輸出の大幅な減少等から、2001年半ばには台湾、シンガポール、マレーシアがマイナス成長を記録した。しかし、米国のIT関連受注や輸入が2001年秋以降持ち直し始めたのに伴い、アジアのIT生産やIT輸出も回復を見せた。
一方、欧州では、減税政策、雇用拡大等により2001年初めまでは内需を中心として景気は拡大を続けていた。しかし、ユーロ圏では同年4~6月期から景気の減速が鮮明になり、年末にはマイナス成長に落ち込んだが、12月を底に改善している。
2001年度の海外の金融市場を見ると、米国、ユーロ圏をはじめ各国・地域の中央銀行では、世界同時減速を受けて2001年に入ってから積極的な金融緩和を実施した。また、9月の同時多発テロに際しては金融市場を順調に機能させるために、協調して金融政策を実施した。多くの国や地域で金利は過去最低水準となった。米国では、2001年1月から金融緩和局面に入り、年末までに合計11回4.75%ポイントの利下げを実施した。これにより、2000年末に6.50%であったフェデラル・ファンド・レートの誘導目標水準は1.75%となり、同レートは61年7月以来40年ぶりの低水準となった。また、ユーロ圏では合計1.50%ポイント、英国でも同2.00%ポイントの利下げが行われ、政策金利(ユーロ圏:短期オペの最低応札金利、英国:レポ金利)がそれぞれ3.25%、4.00%となった。
わが国経済は、99年度初から回復を続けていたが、2000年秋をピークに下降局面に入り、2001年度に入ると実質経済成長率はマイナス基調となった。政府は4月に緊急経済対策を策定したが、構造改革を掲げて発足した小泉政権は、6月26日、「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(いわゆる「骨太の方針」)を閣議決定し、短期的には低い成長を甘受しつつも、不良債権問題の抜本的な解決や財政再建を図り、規制改革や特殊法人改革などを進めることで民需主導の経済成長を目指すという方針を示した。さらに9月には構造改革の基本方針を具体化し、その実施スケジュールを示す「改革工程表」も閣議決定された。しかし、内外情報関連市場の低迷や、厳しい雇用・所得環境などを背景に景気は低迷し、さらに9月の米同時多発テロ事件による世界経済の先行きの不透明感も加わり、2001年度のわが国経済は、戦後最大のマイナス成長を記録するなど厳しい状況となった。雇用不安や景気悪化に対処すべく、政府は11月16日の第一次補正予算(総額1兆円程度)に続いて、2002年2月1日には第二次補正予算(総額2兆6,000億円程度)を成立させた。
経済の動きをみると、完全失業率が5%を超えるなど、雇用・所得環境の厳しさを反映して、個人消費は年度を通じて低調に推移した。住宅建設も大幅に減少した。設備投資は、需要見通しの下方修正や企業収益の悪化などを背景に、情報関連分野を中心に減少基調が続いた。公共投資は、国・地方にわたる厳しい財政事情を背景に、年度初めに2000年度補正予算の執行が一巡すると減少に転じた。
海外経済との関係では、実質輸出は、米国、東アジアなど海外経済の減速を背景に減少が続き、実質輸入も、国内の生産調整や消費不振を受けて減少基調で推移した。
物価は、国内需給の悪化に伴う下落圧力に加え、年度後半になると原油価格が軟化したことなどから、卸売物価は下落を続けた。また、安価な輸入品の増加もあって、消費者物価も下落傾向で推移し、デフレ傾向がさらに強まった。
金融・資本市場をみると、短期金利は、日銀による「量的緩和政策」の実施(2001年3月)以降ゼロ%近傍に低下していたが、政府が進める構造改革を支援するため、日銀はさらに、年度中3度にわたり日銀当座預金残高の目標値を引き上げる金融緩和政策を実施した。一方、長期金利をみると、小泉政権の財政赤字問題への取組みに対する期待感などから、10年物国債利回りは年度前半は1.2%台で推移したものの、年度末にかけては、先行き需給に対する不透明感や財政支出増加に対する警戒感などを背景に上昇し、1.4%~1.5%近傍で推移した。マネーサプライ(M2+CD)は、日銀による「量的緩和政策」や郵便貯金からの資金シフトにもかかわらず、民間資金需要の低迷から引き続き伸び悩み、3%近傍の伸び率で推移した。
株価は、米国株価の持直しや、小泉政権の構造改革への取組みに対する期待感を受け、年度初めは日経平均株価で13,000円台まで上昇したが、その後は、米国株価の下落や国内企業業績の先行きに対する見方が慎重化したことなどを背景に下落基調で推移し、2002年2月6日には、日経平均株価(終値)でバブル経済崩壊後の最安値(9,420円85銭)を記録した。ただし、政府が2月27日にとりまとめた「早急に取り組むべきデフレ対応策」(いわゆる「総合デフレ対策」)を受けて、3月の株価は幾分持ち直し、年度末の日経平均株価は11,024円94銭となった。
為替相場は、年度初め以降1ドル=120円前後で推移していたが、2001年9月の米同時多発テロ事件以降、米国景気の先行きに対する不透明感が強まったことなどから円高が進行した。しかし、その後の日米景況感格差の拡大などを背景に、年度後半では逆に円安が進行した。年度末の為替相場は、1ドル=132円71銭であった。
図1 国内主要金利の推移

図2 海外主要金利の推移

先述の「改革工程表」を踏まえ、金融庁では主要13行を対象に、2001年10月から市場の評価に著しい変化が生じているなどの債務者に着目した特別検査を実施した。その結果は2002年4月12日に公表されたが、これに伴う自己査定の厳格化も不良債権の増加につながった。
先述の緊急経済対策等を踏まえ、2001年9月28日に国会に提出された「銀行等の株式等の保有の制限等に関する法律」が11月21日に成立し、2002年1月4日に施行された。
同法では、まず、株式保有制限に関して、銀行等(銀行、長期信用銀行、農林中央金庫及び信金中央金庫)およびその子会社等は、株式その他これに準ずるものについて、2004年9月30日以降、合算してその自己資本に相当する額を超えて保有することが禁止された。さらに、銀行が放出する株式の受け皿となる銀行等保有株式取得機構の設立のための要件等が規定され、2002年1月23日、銀行126行、農林中央金庫および信金中央金庫を会員とする銀行等保有株式取得機構の創立総会が開催され、1月29日、同機構の設立が認可された。
先述の緊急経済対策を踏まえ、金融界・産業界を代表する者や中立公平な学識経験者等で構成された「私的整理に関するガイドライン研究会(座長:高木新二郎獨協大学法学部教授、事務局:全国銀行協会)は、2001年9月19日、私的整理を行うに至った場合の関係者間の調整手続等をとりまとめた「私的整理に関するガイドライン」を採択し、同日付で適用が開始された。
2001年4月1日に施行された改正預金保険法に基づく銀行の破綻処理等に関連した動きは以下のとおりであった。
2002年3月8日、臨時金利調整法に基づき、金融機関の金利の最高限度に関する件が改正され、4月1日から、普通預金等および別段預金等に関して上限金利が設定されることとなった。
2002年4月1日からのペイオフ凍結解除に際して、普通預金や別段預金等の、いわゆる流動性預金については、特別措置として1年間、全額保護されることとされていることから、これらの金利の最高限度につき、金融審議会の金利調整分科会において、①普通預金金利については当該金融機関の定期預金金利とする、②別段預金金利については当該金融機関の普通預金金利の上限金利を適用する、との考え方がまとめられ、日銀政策委員会の決定を経て、3月8日、金融庁長官および財務大臣の告示が出され、4月1日より適用することとされた。
2001年度中は、銀行持株会社設立や合併による経営統合が本格化した。同年度中に見られた経営統合の動きは以下のとおりである。
2000年4月に公布・施行された東京都の銀行業等に対する外形標準課税については、課税対象行のうち、21行が東京地方裁判所に対し、東京都および東京都知事を被告として、同条例の無効の確認や課税処分の取り消し等を求める行政訴訟を提起していた。これに関して東京地方裁判所は、2002年3月26日、同課税が無効であるとして、東京都による課税処分を取り消し、銀行側がすでに納めた税金の返還と損害賠償を命じる判決を下した。