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トランジションを自分事に

高崎経済大学 学長 水口剛

人から言われて受け身でするときと、「これが大事だ」と信じて、自分の意思でするときとでは、結果が違う。前者は表面的で形式的な取組みに終始するが、後者は実質的な成果を生もうとするからだ。今、この文章を読んでいるあなたにとって、トランジションファイナンスはどちらだろうか?

トランジションに受け身的にではなく、自ら積極的に取り組むべきだと、口で言ってもはじまらない。たしかにこれは大事だと、何としてもやらねばならぬと、自ら思わなければ、本当の意味で「本気」にはなれないだろう。そのためには、「なぜ、今、トランジションなのか」、「なぜ自分がするのか」ということに、納得感が必要だ。

 

では、なぜ、今、トランジションなのか。

2050年にカーボンニュートラルを実現するためには再エネ等のグリーン事業のさらなる推進だけでなく、すべての産業セクターの脱炭素化が必要である。だが簡単にはCO2を減らせない「Hard-to-abate」と呼ばれる産業セクターもあり、一足飛びに脱炭素化できるわけではない。今使える脱炭素技術の導入を加速して、できる限りのCO2削減を進めつつ、根本的な脱炭素化を実現できるような画期的なイノベーションへの投資も同時に進めなければならない。以上が、トランジションの標準的な説明であろう。

だが、それはその通りなのだが、そうは言っても、すでに温暖化は相当加速しているので、平均気温の上昇を1.5℃に抑えるのはもはや無理なのではないかとか、他に大量排出国がある中で、日本だけが頑張っても仕方ないのではないか、といった意見もあるかもしれない。本当にそうだろうか。

世界気象機関の発表によれば、2024年の平均気温は、1850年から1900年の平均に比べ1.55℃高かった。すでに豪雨、水害、山火事などで深刻な被害が出ている。今後温暖化がさらに進めば、社会や経済にさらに大きなコストとして跳ね返ってくる可能性が高い。少しでも脱炭素を進めることは、「誰かのため」ではなく、私たち自身の身を守るためである。

 

また、今は一見、ESGに逆風が吹いているように見えるが、カーボンニュートラルを実現しなければ温暖化は止まらないので、被害はますます拡大する。すると、どこかの時点で世界は必ず被害の拡大に耐えられなくなり、脱炭素化を強制する方向へと転換するに違いない。当然、大企業だけでなく、サプライチェーンの上下流にいる地域の中堅・中小企業にも影響が及ぶ。その時、日本が世界の中でいかに先進的な仕組みを築いているかが勝負である。

より重要なことは、今が社会・経済システム全体の転換期だということである。気候変動問題だけでなく、デジタルやAIの急速な進展、格差の拡大や社会の分断、先進国の少子化と人口減少など、これまでの社会のあり方のすべてが岐路にある。社会と経済はこれらの要素が密接に絡み合う複雑なシステムなので、気候変動問題だけを取り出して、部分的に変えることは難しい。社会・経済システム全体のトランジションが必要なのである。

たとえば地域の資源を上手く活用して、自然の豊かさや価値の多様化と脱炭素を両立させ、地域の魅力を高めて流出した人口を呼び戻し、子育てしやすい環境で日本全体の人口減少にも歯止めをかけるような、新しい社会・経済システムへの転換はできないか。そのようなシステム全体のトランジションができれば、新たな「日本モデル」として世界の注目を集めるだろう。逆に、それができなければ、地域を基盤とする地域金融にとっては死活問題だ。そう思えば、「よし、やろう」という気にならないだろうか。そんな人が一人でも増えたなら、幸いである。

水口 剛(みずぐち たけし)高崎経済大学 学長

筑波大学卒。
商社、監査法人等の勤務をへて、1997年高崎経済大学経済学部講師。
2008年教授、2017年副学長を経て、2021年より現職。
専門は責任投資(ESG投資)、非財務情報開示。

環境省「グリーンファイナンスに関する検討会」座長、「ESG金融ハイレベル・パネル」委員、金融庁「サステナブルファイナンス有識者会議」座長、「インパクト投資に関する検討会」副座長、インパクトコンソーシアム会長、内閣府「休眠預金等活用審議会」委員等を歴任。主な著書に『ESG投資-新しい資本主義のかたち』(日本経済新聞出版社)、『責任ある投資-資金の流れで未来を変える』(岩波書店)、『サステナブルファイナンス最前線』(編著、きんざい)など